新潟県新発田市「加地城跡地」

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先祖の居城だった山城の跡地

加地家は元々は佐々木家です。
宇多源氏系の武家源氏である近江源氏佐々木氏の一族だった佐々木盛綱が源頼朝から加地荘(かじのしょう)という荘園を賜ってから名字が加地となりました。
加地荘は現在の新潟県新発田市周辺の一帯でした。

現在の新潟県新発田市に要害山という小丘のようなちょっとした山があり、そこに昔加地城という山城がありました。
本丸は要害山の頂上に築き、山城らしく山そのものを要塞とした造りの城だったようです。
鎌倉時代初期から1587年に落城して焼け落ちるまで存在し、現在は「加地城址(かじじょうあと)」として城はありませんが城址として知る人ぞ知る場所となっています。私の先祖の居城だったので行って参りました。

要害山に建てられている藤戸神社

城跡となっている要害山には藤戸神社が建てられています。
説明文が書かれた看板も何も存在していませんでしたが、藤戸という名前は岡山県倉敷市藤戸町から取ったのだと思われます。
加地家初代となる佐々木盛綱(加地盛綱)が源平合戦の際の藤戸の戦いで武勲を挙げたことがある所以で、藤戸の名前を付けたのだと思われます。

要害山の山中

本当にちょっとした登山でした。

山頂の風景

見晴らしが良く、気配が良い場所でした。

先祖「加地春綱」の墓

佐々木盛綱(加地盛綱)の約300年後の子孫である加地春綱の墓が要害山の麓の一部にあります。
加地城跡の看板がある山頂からは行けません。別ルートで麓から行けます。

加地春綱は上杉謙信の姉と結婚しており、この二人の長男の加地秀綱は上杉謙信の甥っ子となり母親関連で上杉景勝の従兄弟となります。

先祖に挨拶が出来て何よりでした。

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