自然界に満ちている生命エネルギー(氣)を使う自己ケア法①

目次

感覚と思考。心と脳。感じることと考えること。

人間は生物ですが、生物は生きるために常に体内でエネルギー代謝を繰り返しています。
代謝(たいしゃ)とは、生物が生命を維持するためにその体内で行う化学変化とそれによるエネルギー変換の総称です。
物質はあらゆる元素から作られていますが、その物質がどのような元素から作られているか、その物質を作っている成分を化学的に示しているのがその物質の組成であり、その物質の組成の化学式が体内で起こった化学反応によって別の化学式に化学変化することを代謝と称します。要するに、とある物質が代謝すると化学的に別の物質に変化するということです。


人間はATP(アデノシン三リン酸)を細胞小器官のミトコンドリアの内膜で作っています。
ATPは生きるために不可欠のものであり、「エネルギー通貨」とも呼ばれています。
人間(のみに限らず地球上の既知の動物全て)は糖質、タンパク質、脂質を食品から摂取して、一部の例外を除きそれらの栄養素を一度ATPに変換してから体内でエネルギーとして利用して生きています。
ATPが作れなくなったらその生物は生命を維持することが出来なくなります。

ここら辺までは可視的な世界のことであり、学問として科学可能な領域のことです。
既存の機械で測定可能な領域ですので誰にでも頭脳的に理解することが出来る領域の話です。
「感じて分かる」領域ではなく「考えて分かる」領域です。
ここから先は「感じる」領域の話ですので、既存の機械と知識では科学不可能な領域の事柄となります。

「生命エネルギー=氣」は生物の根源

物質は粒子から出来ていますが、粒子は更に分解していくと振動=バイブレーションになります。
振動とは「力」の根源であり、物理の世界ではそこから全てが始まります。
その振動より前に存在しているものが、不可視であり既存の機械では測定出来ないものであり「感じる」能力が敏感で高い人間にはその存在を肯定されているエネルギーになります。
そのエネルギーは中国と日本では氣(き)と称されています。

中国の漢方の思想では、人間の肉体は「氣の器」として理解されています。
すなわち、生物を生物足らしめている氣というエネルギーが肉体に満ちているとき、その氣というエネルギーを使って一つの生命体は生物として機能するということです。
上記した科学可能な領域の肉体のメカニズムも、この氣というエネルギーが肉体に満ちていなければそもそも機能しないという解釈です。

経絡(けいらく)と氣と虚実(きょじつ)


このエネルギーの存在の有無は肯定派と否定派がいますが、肉体上の経絡の走行ラインにおいて虚(きょ)になっている箇所は物理的にその肉体の場所がへこんでおり、実(じつ)になっている箇所は物理的にその肉体の場所が盛り上がったり張ったりしているのを私は何度も肉眼で物理的に確認したことがありますので、それを根拠の一つとして私はこの氣というエネルギーの存在は肯定派の立場を取っています。

経絡(けいらく)とは肉体の周囲、表面、中を走行している非物質の管(くだ)もしくは道(ルート)であり、経絡を管として理解するならばその管の中を流れているエネルギーが氣であり、経絡を道として理解するならばその道を走行しているエネルギーが氣であるということです。
経絡とは氣が走行しているラインのことです。その走行ラインは複数の種類があり、各ラインによって流れている氣の種類が異なります。

本来「氣の器」である人間の肉体に氣というエネルギーが満ちていないとき、肉体の機能は正常な働きを阻害されて様々な不調となって肉体上に現れます。
氣というエネルギーが満ちていないことが原因になるのなら、その対処としては不足している氣というエネルギーを補填すれば良いということです。

次回はその補填の簡単な自己ケア法をシェアします。
尚、その自己ケア法については自らの感覚が敏感になればなるほど実感出来るものです。
私の施術は受ければ受けるだけその感覚は敏感になりますので、ご関心ある方は是非お試し下さい。

加地

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